2006年07月03日
あるロマン派の一生(旅情編)。
それでは再開。前回の話は、こちらからどうぞ。
さて、シューベルトが友人に連れられてやってきたのは、ウィーンの西部にある、リンツという小都市。1819年の夏でありました。
ここで、彼はパウムガルトナーという人物の家へ招かれます。
パウムガルトナーとはどんな人物だったかというと、鉱山の経営者で、自身もチェロ奏者であり、シューベルトのファンでもありました。
ようするにお金持ち。しかも教養人だったわけです。
どのくらい滞在したかは分かりませんが、演奏会を開いたりしたようです。
ちなみに当時シューベルトは22歳くらい。
すでに教員を辞め、貴族様の音楽の先生をやっていました。
いよいよ、世間に認知され始めましたね。
公的にも、コンサートを依頼されるなど活躍の場が広がっていきます。
さて、滞在中にパウムガルトナーから、ある依頼を受けたシューベルト。
その内容は、といいますと・・・。
さて、シューベルトが友人に連れられてやってきたのは、ウィーンの西部にある、リンツという小都市。1819年の夏でありました。
ここで、彼はパウムガルトナーという人物の家へ招かれます。
パウムガルトナーとはどんな人物だったかというと、鉱山の経営者で、自身もチェロ奏者であり、シューベルトのファンでもありました。
ようするにお金持ち。しかも教養人だったわけです。
どのくらい滞在したかは分かりませんが、演奏会を開いたりしたようです。
ちなみに当時シューベルトは22歳くらい。
すでに教員を辞め、貴族様の音楽の先生をやっていました。
いよいよ、世間に認知され始めましたね。
公的にも、コンサートを依頼されるなど活躍の場が広がっていきます。
さて、滞在中にパウムガルトナーから、ある依頼を受けたシューベルト。
その内容は、といいますと・・・。
その依頼とは
『歌曲「ます」の主題を用いて、ピアノ5重奏を作曲してくれ』
というもの。
この難題に対し、シュー様はその場でパート譜を書き上げます。
『まさに音速の貴公子だ』
と、パウムガルトナーが驚いたかどうかは、残念ながら記録には残っていません(当たり前)。
そして数年後、シューベルトは「ます」5重奏を完成させます。
良かった良かった。
・・・。
ちょっと待った。
「歌曲」の「ます」?
そうなんです。
もともと、ますは歌曲として作曲されたものだったんです。
なぁんだ。じゃあ、謎は解明されたじゃん。終わり終わり。
いえいえ、これで終わりじゃありません。
歌曲のますが作曲された経緯が分かってませんから。
というわけで、次回が最終回。
じっちゃんの名にかけて、036がこの謎を解いてみせるぜ。
*今回のオマケ*
今まで「ます」と表記していましたが、036は勘違いしていました。
(1)
ブルックトラウト。
だと思っていたのですが、どうやら違うようです。
(本気で勘違いしていました・・・)
『歌曲「ます」の主題を用いて、ピアノ5重奏を作曲してくれ』
というもの。
この難題に対し、シュー様はその場でパート譜を書き上げます。
『まさに音速の貴公子だ』
と、パウムガルトナーが驚いたかどうかは、残念ながら記録には残っていません(当たり前)。
そして数年後、シューベルトは「ます」5重奏を完成させます。
良かった良かった。
・・・。
ちょっと待った。
「歌曲」の「ます」?
そうなんです。
もともと、ますは歌曲として作曲されたものだったんです。
なぁんだ。じゃあ、謎は解明されたじゃん。終わり終わり。
いえいえ、これで終わりじゃありません。
歌曲のますが作曲された経緯が分かってませんから。
というわけで、次回が最終回。
*今回のオマケ*
今まで「ます」と表記していましたが、036は勘違いしていました。
(1)

ブルックトラウト。
だと思っていたのですが、どうやら違うようです。
(本気で勘違いしていました・・・)
Posted by 036 at 00:20│Comments(0)
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